
大切なのは「伝えたい」気持ち
大学時代に海外の人々の暮らしに強く引かれた伊勢さんは、語学留学に飽き足らず、クロアチアの難民キャンプでの子どもの世話、サハラ砂漠でのオアシス造り、ガーナでの小学校造りなど海外ボランティア活動の体験を重ね、その後、ひとつの目的を抱いて世界一周の旅に出た。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米、北米へと続く旅先の子どもたち約120人に、「たからものって何ですか」と問いかけ、その答えを絵に描いてもらったのだ。英語はコミュニケーションの道具として有益だったが、もっと役に立ったのは、伊勢さんの明るい笑顔とひたむきさ、そして人の心に届く「伝えたい!」という強い気持ちだった。
伊勢華子(いせ・はなこ)1973年東京生まれ。学習院大学在学中にクロアチア共和国での難民キャンプの子どもの世話、メキシコでの海亀産卵パトロールなどの海外ボランティア活動に参加。学習院大学大学院修了後、韓国版『anan』『Seoul Walker』などの創刊を手がける。その後、世界一周旅行を果たし、『「たからもの」って何ですか』(パロル舎)を出版、姉妹本には『ひとつのせかいちず』(扶桑社)、『みみをすませば』(大和出版)がある。現在は文筆家として“ことばなきものの言葉”に関心を持ち、西へ東へ6852島からなる日本の、とりわけ小さな島々を巡っている。このほか、日本各地の山里の子どもと作る一日学校「旅するスクール」の開校や講演を行う。また、Kinki Kidsに作詞を提供、さらにクリエイティブユニット「ASOBOT」のメンバーとしても活躍中。
海外ボランティア活動で得た、言葉よりも大切なもの
―英語や外国に興味を持たれたのはいつごろからですか。大学時代に数多く参加された海外ボランティア活動は語学力の条件があり、外国人と一緒に生活するものが大半ですよね。 伊勢:外国にはずっと興味があったのですが、大学受験の後、イギリスのイーストボーンという田舎の牧師さんのお宅で3カ月ホームステイをしたのが、初めての海外体験でした。牧師さんが“pen”と言うのを“pin”と聞き間違えたりする状態で、現地の語学学校に通いましたが、初めての海外生活そのものにわくわくし、古着を売る店に通い詰めたりした楽しさのほうが強くて、言葉のストレスは全然感じませんでした。このときの体験が面白かったので、大学に入ってからいろいろな国に行くようになりました。イギリス滞在の後に、各国の若者たちと一緒にアメリカ西海岸を縦断するというキャンプに参加しました。言葉で苦労したという印象はあまりなく、最低限の言葉でやりくりしていたのだと思います。 海外ボランティアのスタートは、インドの「肥だめ掘り」の活動でした。そのときにcompost(堆肥)という単語を言われたんですが、よくわからなかったんです(笑)。要するに、水の管理の行き届いていない場所で、みんなが勝手にトイレの穴やゴミの穴を掘っていたのを改め、1カ所に集めるための巨大な穴を掘ろうという活動だったのです。私は役に立つどころか足手まといで、インド人から見たら、ホンダやソニーの国から来ているこの日本人は穴ひとつ掘れないんだ、ハハハ、みたいな感じだったと思いますね(笑)。 世界中で募集したのですが、参加者は私とシアトルから来た女医さんの2人きり。インドの片田舎では私たちは珍しい存在だったので、好奇心から村の人たちがひっきりなしに見に来るんです。それで女医さんの精神状態が悪くなってしまい、村の人たちに対して心を閉ざしちゃったんです。彼女は英語の問題もなく、インド人のNGOスタッフともコミュニケーションが取れるのに、と思いましたが、こういう活動には英語力よりももっと大切なものがあることを実感しましたね。 |
海外ボランティアのスタートは、インドの「肥だめ掘り」の活動でした。 |
コミュニケーションの極意は、とにかく「思い」を発すること
―社会人になられてから、ピースボートによる世界一周の船旅を2回されています。1回目は22の国と地域、120人近くの子どもたちに絵を描いてもらい、著書『「たからもの」って何ですか』に結実しましたが、このときの体験や言葉について教えてください。 伊勢:人に何かを伝える仕事に就きたいと思っていたのですが、大学院に進んでも雑誌の仕事をしても、これは違うなと感じていたころ、世界一周の話が持ち上がって、運良く参加できることになったのです。そのときに世界の子どもたちに自分の「たからもの」を描いてもらおうと考えて、紙とクレヨンを持って乗船しました。というのも人の根本にあるものは何かということに興味があったからです。小さな子どもは、国籍や性別などにまだ大きな影響を受けず、「何か」に分かれる前の存在ですから、彼らの根っこみたいなものが知りたかったんですね。 テーマが抽象的なので、子どもたちが大切にしているものや手放したくないものを描いてもらうことにしました。キューバの子どもは夕日と朝日の混ざった青空とか、香港の子はドルマークのついた洋服とか、エリトリアの孤児院の子は、物自体がないから、記憶の中にあるお花だったり、彼らの描く「たからもの」は予想をはるかに超えたものでした。 英語圏以外の場合、私の要望を事前に翻訳してもらっていましたが、それでも子どもたちとじかに会うと、思ったようにはいかず、村の先生などに通訳で登場してもらったりして。大体どんな村に行っても、1人くらいは英語のできる人が必ずいました。子どもが何か興味深いことを言っているなと感じたら、お母さんに説明してもらったり、単語のスペルを書いてもらって後で調べたりして補足しました。 巡った国々でさまざまな言語に出合いましたが、非英語圏も多く、英語すら通じないということもありました。英語やスペイン語でスピーチしろと言われれば、それはそれで頑張りようもあるのですが、あまりにも多様な言語なので、極端なことを言えば、勉強しようがないという感じでした。とはいえ、英語はやっぱり共通言語として絶対に必要で、サバイバルイングリッシュで乗り越えました。 コミュニケーションでは、とにかく、「思い」を発するということがすごく大きなことだと感じます。偏見を持たずにすっと人の心に入っていけたら最高ですね。2回目の世界一周は、できた本を子どもたちに渡すというミッションで行ったのです。 |
つたなくてもいいから「思い」を発信することが一番大事なこと。 |
言葉が未熟でも補ってくれるものはたくさんある
―伊勢さんは英語だけでなく、中国語や韓国語とも縁が深いですね。中国での体験はその後の旅のスタイルを変えるきっかけになったそうですが。 伊勢:大学時代、第二外国語で中国語を取っていましたが、集中的にやろうと思って、北京の人民大学に3カ月ほど短期留学をしました。興味がわくとすごく熱中するので、中国語は留学前からも勉強していました。勉強そのものが面白かったんですね。何カ国語もできる方というのは、たぶんこういう感覚で、面白いから勉強しちゃうのだろうな、と思います。中国で旅のスタイルが変わったのは、自分の何かが目覚めてしまったようなんです。中国人のエネルギッシュなところや町のわい雑なパワーに触発されて、「人は何でもできる、どこだって生きていける」ということを感じて、それからインドやアフリカへ出かけるようになりました。 韓国語は、ちょうど日韓ワールドカップが開催される前でソウルの記事が増え、韓国版『anan』や『Seoul Walker』の立ち上げの手伝いという立場で1年くらい韓国を行き来していたときに、雑誌の編集長とお互いに日本語と韓国語を教え合いました。でも、中国語ほど熱心にはなれませんでしたね。ハングルのような表音文字は記号のように見えてしまって、記憶にひっかかりにくいようでした。 ―辺境と呼ばれるような地域に出かける大きな理由は? そして、今後の抱負を教えてください。 伊勢:そうした地域では、昔からの文化や習慣を大切にしていることに心を動かされるからだと思いますね。さきほども言いましたが、人間の根本にすごく興味があるので、それを追求したいのです。子どもと違って、大人はいろいろな衣を着けて生きていますから、そういうものを全部はぎ取ったところに何があるのかを知りたいのです。それは「私って何だろう」という自分への問いかけでもあるからだと思いますね。大人は根っこにたどり着くのが大変ですから、もっと時間をかけて深くやらなければいけないと考えています。 ―いろいろな国を巡った経験から、言葉についてどのようにお考えになりますか 伊勢:世界にはいろいろな言葉がありますが、言葉そのものよりも大切なのは、「伝えたい」という気持ちだと思います。それがあれば、たとえ語学力が未熟でも、まなざしの強さや言葉と言葉の間に漂う空気が、気持ちを伝えるのを手伝ってくれます。とはいえ、言葉を学ぶ気持ちも大切で、英語で多くの人たちとコミュニケーションできるのも事実です。ただやみくもに学ぶのは面白みに欠けてしまう部分もあるので、あの人ともっと心を通わせたいと、人の顔が浮かぶような学習がいいですね。 そして、話は戻りますが、気軽に話しかけたり、逆に声をかけられるようなオープンな心を持つこと。英語を流ちょうに話せないことは恥ずかしいことではない、ということを心に留め、日本語でもいいから「声を出す」、つたなくてもいいから「思い」を発信することが一番大事なことだと思います。 |
キューバにて。放課後、ダンスの練習をしている子どもたちと。練習の合間にたくさんの子どもが宝物の絵を描いてくれた。中央、帽子をかぶっているのが伊勢さん |
- 【オンラインテスト】
- 【投稿大歓迎!】
- 【読みもの】


