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巻頭インタビュー・アーカイブ

小学3年生で出合った英語が
多彩なキャリアへの道を開く
石井苗子  MITSUKO ISHII
[女優・ヘルスケアカウンセラー]
取材・文:竹野みつえ 撮影:蔵 真墨
取材協力:喫茶ルオー

同時通訳者だった石井苗子さんは、『CBSドキュメント』の初代女性キャスターとして注目を集め、映画『あげまん』では女優デビュー、役者としての地歩を固めた。その傍ら、聖路加看護大学で看護学、東京大学大学院では疫学・予防保健学を専攻し、今年3月に博士課程を修了。こうして多彩なキャリアチェンジを重ねてきた石井さんだが、英語とのかかわりは続き、現在もドクターになるべく英語論文と格闘中とのこと。日本人離れした容ぼうのせいか、クールで冷静沈着な印象があったが、実際の石井さんは「肝っ玉母さん」のような豪放さと、強い感受性の持ち主とお見受けした。次々と畑違いの分野にチャレンジするのは、自らの可能性への挑戦であり、あきらめない情熱がそれを支えているという石井さんの、多様な英語遍歴の一部を紹介しよう。(2007年7月号)

石井苗子(いしい・みつこ)東京生まれ。父親の転勤に伴い、小・中学時代を広島県福山市で過ごす。高校卒業後渡米、アメリカ・シアトル近郊のルーテル教会牧師宅に寄宿し、コミュニティーカレッジから、ワシントン州立大学に進む。帰国後、上智大学に編入。卒業後、大手鋼鉄メーカーでOL勤務をする傍ら英語の勉強を続け、日米漁業交渉団の同時通訳、日本テレビの2カ国語放送の翻訳を経て、1988年『CBSドキュメント』、ユ93年『週刊地球テレビ』のキャスターに。’90年、故伊丹十三監督の『あげまん』で映画デビュー。現在は女優、東京大学医学部の客員研究員。また都内の病院でストレスカウンセラーとしても活躍中。牧師宅での特異な体験は著書『わたしの偏差値ばなれ』(海竜社)に詳しく描かれている。

中学・高校の英語の成績は常にトップクラス

―石井さんの英語スタートは、いつごろですか

石井:父の転勤で広島にいた小学校3年生くらいのときに、私があまりにも勉強しないので、母が近所の知り合いに家庭教師を頼んだのです。それでも勉強しなかったんですが、私が唯一興味を持ったのが、先生がちらっと見せた英語の本。それを見た途端、「面白そう」と思ってやり始めたのが最初です。外国で初めて会った人との話し方などが書いてあり、子ども心に、これは外国に行ったら役に立つ、よその国の人と話ができると思いました。英語のあいさつなどを知っているだけで、親を追い越した気分になれたんです。

中学で勉強したのは英語だけ。1年のときに3年までの教科書をやってしまい、問題集などもどんどん先に進んでしまったので、学校の授業はどこのレッスンだったかしらと、混乱してしまうほどでした。英語の先生は、英語なのかローマ字なのかわからないようなレベルでしたが、厳しい教育でしたね。毎時間テストがあって、点数の悪い子は休み時間に正解を書けと。みんな遊びたいから代筆をずいぶん頼まれて、夏休みの英語の宿題もほかの生徒の分を引き受けていました。そして、中学の修学旅行で九州に行ったんですが、有明海の朝焼けの美しさに感動して、「海を越えた向こうの国に行きたい」と強く思い、そのとき初めて将来、留学することを決意しました。

―高校は、規則の大変厳しい全寮制の学校(横浜の山手学院)に進学されていますが、ここでの英語教育はいかがでしたか。

石井:山手学院では、アメリカでホームステイを体験する研修旅行というのがあり、現地では英語で自分についてプレゼンテーションしなければならないんです。それで、その前の夏休みの合宿では、横浜周辺の子どもたちを集めて臨海学校を開催するのですが、そのときに子どもたちに英語を教えながら、英会話の先生たちとプレゼンテーションの練習をしました。研修旅行のための英会話の先生は全員外国人でしたね。

また、同時通訳の訓練校のように、全員が1人ずつ個室のブースでヘッドフォンを付けて勉強するというぜいたくな授業もありました。1人1人の声が全員に聞こえるので、いびきも聞こえちゃう。そういう子には先生が“Go to jail with Miss Ishii.”(石井さんと一緒に刑務所行き)って言うんですよ。私、体が大きくて強かったから怖い女の子だったんです。

中学で勉強したのは英語だけ。1年のときに3年までの教科書をやってしまいました。

牧師宅に寄宿しながら勉学に励んだ留学時代

―卒業前は医者を志望されていたそうですが、アメリカの牧師の元に留学されましたね。

石井:自分の強さを人の命を救うことに傾けようと思ったのですが、成績が及ばなかった(笑)。こういう性格ですから父も悩んだのでしょうね、進路を決めかねていた私を見て、アメリカに行ってこい、2年間でしっかり英語を習得してこいと言ったのです。父の突然の申し出に驚きましたが、中学時代から留学を意識していましたし、英語も結構できるという自信もあったので―そんなに甘くなかったと後でわかりましたけど――そのときは自分の英語力を確かめたい気持ちのほうが強かったですね。

牧師宅に寄宿ということなので信用が置けましたから、知らないところに行くという不安より、私の人生はこれから一体どうなるんだろうという気持ちと、それでもとにかく行こうという気持ちとの間で葛藤(かっとう)がありましたが、チャンスは1回しかないと思い、決心しました。父は細かいことは何も言いませんでしたが、英語だけでなく、アメリカの民主主義とかモノの考え方とかをつかんでこいというのが本音だったと思います。

―牧師宅の生活は、著書『わたしの偏差値ばなれ』に書かれていて、驚くような経験をたくさんされていますが、英語についてはいかがでしたか。

石井:こういうと笑われるんですが、どこを向いてもみんな英語で話しているのがショックでしたね。当時、日本では英語を話せるというのは、1つの才能だと思われていて、私自身もひそかに誇りを抱いていました。でももちろん、アメリカでは英語が話せてもただの人。それに、リスニングができなくて、情けなくなるほどわからない。多様な人種のいるアメリカでは、英語といっても階層によって言葉遣いに差があって、上達したつもりでも知識階級の話す英語がわからない、ということもありました。

言葉の壁にぶつかって、これじゃ大学なんて行けるわけがないとひどく落ち込んでいたところ、牧師さんの勧めもあったので、まずは近所のコミュニティーカレッジに通うことにしました。コミュニティーカレッジは学力的にはレベルは高くないのですが、最初のうちは英語で授業を聴き、ノートを取るのが大変でした。学力的にはアメリカの高校を出た人たちより、私のほうがあったはずですが、問題は母国語の違いによる理解力です。勉強の出来不出来は集中力、記憶力、理解力の3つで決まると思いますが、私は集中力と記憶力はあったものの、英語に対する理解力がはるかに劣っていたからです。そのハンディを埋めるために、文科系は本を読むのに時間がかかりすぎるので、数式や図式のある理数系の科目を選択し、成績をカバーしました。

コミュニティーカレッジに行っている間に、大学へ行くために必要なTOEFLとSATの試験も受けて、ワシントン州立大学に3年から編入したのですが、父から「帰ってこい」という手紙が来て……。約束の2年は過ぎてはいましたが、もう少しアメリカにいたいと説得するつもりで帰国したら、上智大学の3年に編入されちゃいました。

コミュニティーカレッジでは、車の運転を教えるクラスを真っ先に取ったそうだ。そのコミュニティーカレッジ卒業時の写真

ジャーナリスティックな思考が求められ悩んだキャスター時代

―上智大学を卒業されてからOL、通訳、キャスターと転身されますが、OL時代に日米会話学院に通われていたのは、通訳を目指していたからですか。

石井:英語を忘れないためと、同時通訳ができるようになったらOLを辞めようと思っていたんです。3年通った後に日米漁業交渉団の専属同時通訳をやりましたが、自分には合っていないと感じました。

まず英語の鬼というか英語オタクじゃないと務まらない。それから、マイクを握って明瞭(めいりょう)にしゃべれるかどうか、さらに、プレゼンテーションのときは外見などのビジュアル面での印象も問われるわけです。マイクを使うのはうまかったんですが、ビジュアル面で悩んで……。要するに目立ちすぎたんですね。ですから『CBSドキュメント』のキャスターになったときにはほっとしました。目立ってナンボの世界でしたから、とても楽になりましたね。

―キャスターはキツイ仕事と聞きますが、初代女性キャスターとして5年半も務められましたね。

石井:今はそうでもないと思いますが、当時は自分で調べて自分で原稿を書くという厳しさでしたし、ジャーナリスティックな考え方と見方が必要でした。これが言いたい、こういう感想を持ったと、原稿を何ページも書いても、「それはジャーナリスティックじゃない、くだらない」と切り捨てられちゃうんです。悲しかったですね。自分はジャーナリストとしての考え方ができないのかと悩み続けました。でも、いかに自分がダメかを考える機会があったのは収穫でしたし、悩みながらも続けられたのは、自分をあきらめない情熱だったと思います。

―その後、聖路加看護大学で看護学、東京大学大学院で疫学などを研究され、また、ストレスカウンセラーとしても活躍中ですが、今の最大の目標は何ですか。

石井:3年以内に英語の論文を書かないといけないので、それを書き上げること。いつまでたってもラクになりませんね。私は、何でもオンリー・ワン・チャンスだと思って挑戦しちゃうんですね。新しいことをやると悪口を言う人もいますが、そんなことを気にしていても仕方ないし、挑戦して失敗しても、それも財産だと思って蓄えておく。挑戦って、上を見るしかないでしょ。上に行けば挫折の連続ですが、挫折が嫌なら挑戦しなければいい。エネルギーって、使った分だけ返ってくるんですよ。使わなければエネルギーは減りはしませんが、戻ってもこない。たくさん使った人にはたくさん戻ってきます。

挑戦して失敗しても、それも財産だと思って蓄えておく。



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