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巻頭インタビュー・アーカイブ

英語はあくまでも道具
何を英語で伝えるかが重要
蟹瀬誠一  SEIICHI KANISE
[ジャーナリスト/キャスター/明治大学国際日本学部長]
取材・文:竹野みつえ 撮影:蔵 真墨
取材協力:オーバカナル赤坂

インタビューの席に先に着いていらした蟹瀬氏は、ミネラルウォーターを前に英字新聞を読んでおり、その姿はダンディそのもの。しかし、「へそ曲がり」とご自身も言うように、ユニークな勉強法や茶目っ気たっぷりなオープンなお話からは、好奇心の強い、恐いもの知らずのジャーナリストらしい気骨が伝わってくる。氏の英語のスタートは大学浪人時代で、「勉強と思わず面白くて楽しかった」という英語へのアタックは、とにかくコミュニケートしたいという一念からだった。当初の目的を果たしてもそこにとどまらず、「努力しなければ結果は出ない」という確信のもとに独自の勉強法で努力を重ね、英語の達人へと進化した。今回は、蟹瀬流英語術と英語を駆使した華麗な職歴をお伝えしよう。

蟹瀬誠一(かにせ・せいいち)1950年石川県生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。在学中フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学に留学、その後TIME誌ニューヨーク本社にてアジア・プロジェクトに携わる。卒業後、米国AP通信社記者、フランスAFP通信社記者・写真部次長を歴任。'87〜'88年ミシガン大学大学院に留学。'88年TIME誌東京特派員として帰国。取材力と英語力を生かし、ユ91年TBS『報道特集』でキャスターに転身し、『ザ・ニュースキャスター』『サンデー・プロジェクト』(テレビ朝日)など多数のTVやラジオ番組で活躍。2004年より明治大学文学部教授を務め、'08年からは新設される明治大学国際日本学部教授・学部長に就任する予定。数多い著作の中で、『日本人だけが知らなかった英語上達法』(中経出版)は、氏の英語遍歴と学習法をつづったもので、非常に興味深い。

新鮮な喜びが英語をメキメキと上達させた

―大学浪人時代に英語の再勉強を始められたそうですが。

蟹瀬:高校時代は英語が大嫌いで、学校の成績も赤点だったのですが、立川駅のそばに下宿したことで私の英語人生ががらりと変わりました。当時はベトナム戦争中で、立川駅には米兵とその家族がたくさんいました。彼らの話し声があまりに大きかったので、何を言っているのか知りたい、と単純に好奇心がわいたのです。しかし英語力はゼロ。そこで毎朝、駅で人のよさそうな米兵を捕まえては、"Excuse me, what time is it now?"と話しかけることから始めました。そんなことを続けているうちに顔見知りができ、立川基地内を案内してくれたりするようになりました。

最初、私にとって彼らは英語の教材という存在でしたが、ブロークンでも話が通じてくると、人間としての付き合いになってきます。そうなると自分の言いたいことをきちんと伝えたい、相手の言っていることももっと理解したいと思うようになりますから、知らない間に英語に夢中になりました。勉強とは思わず、こんな単語を覚えたとか、こんな表現をするんだという、新鮮な喜びのほうが強くて、それが面白くて楽しかったんですね。

当時は英語教材が豊富ではありませんし、お金も持っていませんから、お金をかけずに学べるテレビの『NHK英会話初級』を一生懸命見ました。それからFEN(米軍の極東放送網)をつけっぱなしにして聴いていましたね。英語は強弱のリズムがすごくあるので、意味がわからなくても、ずっと聴いているとリズムが脳の中にしみ込んでいきます。その次に、聴こえた英語をおうむ返しにリピートしていく。おうむ返しは、言葉を覚える上ですごく有効です。さらに、何とかラクして速く英語が上達する方法はないかと探していたら、ベーシック・イングリッシュ(※1)に出合い、それにも没頭しました。


※1 =Basic English 今から70年ほど前に、イギリスの言語学者オグデンが考案した英語の体系。慎重に選択された850語の単語を用いることで誰もが容易に習得できる国際補助語を目指したもの。

―先生の著書には、スロースターターでもOK、目標は作らない、発音にこだわらないなど、安心材料が多い中、逆に力説されているのがライティングの重要性ですね。

ええ。漢字だって何度も書いて覚えていくでしょう。あれと同じで、「手は第二の脳」といわれるように、書くことで言語脳に定着していきます。書くことの最大のメリットは、論理的に表現できるようになること。話し言葉は適当に言いっぱなしですみますが、文章は理屈が成り立っていないと成立しないですよね。論理的に書ければ、その通りにしゃべればいい。今の日本の英語教育は、話すことに力点を置き過ぎています。私の実体験からも、読み書きの力をつけることは、一見遠回りだけど、結局会話力の上達につながります。

私の実体験からも、読み書きの力をつけることは、会話力の上達につながります

留学で磨いた英語で通信社へ。独学でジャーナリズムの英語に挑戦

―大学在学中にフィリピンに1年間留学後、TIME誌インターンとしてニューヨークで2カ月間すごし、その後、AP通信社に正式採用されてジャーナリストの道に進まれますが、この間の英語的収穫などを教えてください。

蟹瀬:フィリピンを選んだのは、私がへそ曲がりだったからです。優秀な学生はたいていイギリスやアメリカへ留学していました。私は他人の行かないところに行きたかったんです。それにフィリピンですと授業料も滞在費も安いし、交換留学制度で単位も上智大学にスライドできるメリットがありました。

留学の準備として、必要とされるTOEFLのスコアをクリアするために問題集に熱心に取り組むとともに、スピードリーディングの練習を集中的にやりました。留学先ではたくさんの本を読まされると聞いていたからです。トレーニングすると、不思議なもので英語も日本語も速読できるようになりました。フィリピンでの成果は、英語を通じて授業の内容を理解するところまでもっていけたことですね。

TIME誌のインターンは、一応アジア代表ということで参加しました。私に課せられたプロジェクトは、アジア市場でTIME誌をより魅力的な雑誌にするにはどうすればよいか、編集サイドから検討せよ、というものでした。しかし、当時の私の英語力では満足なレポートは書けそうにありませんでした。どうしようかと悩んでいたところ、かつて立川基地で知り合ったアメリカ人とニューヨークでばったりと出会ったのです。まさに渡りに船でした。さっそく彼に添削してもらい、レポートを無事提出することができました。

重役室を使えるなど待遇はものすごく良かったですが、正直、つらくて、カレンダーの日付を1日ずつ消しながら日本へ帰れる日のことだけを考えていました。でも英語力は飛躍的に伸びましたね。TIME誌で働く人たちはいい意味のインテリで、語彙も話の内容も高いレベルの英語でしたから、英語力は一気に2段ぐらいステップアップした感じがしました。

AP通信社では見習からスタートしましたが、見習期間中に、三菱重工爆破事件(※2)があり、その事件を取材した内容が評価されて採用されました。でも日本企業のように新人研修があるわけでもなく、周りはみんなライバルですから、記事の書き方なんて誰も教えてくれませんでした。英語は書けるけど、記事は書けない。ネタもないし、取材力もない。とにかくどうやって書いたらいいのかわからない。仕方がないから先輩たちが書いた記事を一日中ひたすら読んでいました。そうするとだんだんコツがわかってきたのです。通信社の記事は、英語圏の小学校6年生くらいが使うような簡単な構文で書かれています。難しい単語はあまり使わない、形容詞もなるべく減らすというパターンがわかってきて、数カ月でなんとか記事が書けるようになりました。できなきゃクビですからね。

コミュニケーションでは、とにかく、「思い」を発するということがすごく大きなことだと感じます。偏見を持たずにすっと人の心に入っていけたら最高ですね。2回目の世界一周は、できた本を子どもたちに渡すというミッションで行ったのです。

その後、フランスのAFP通信社に転職しました。仕事の内容は一緒でしたが、所帯が小さいのでトップリポーターになれ、オリンピック取材などメジャーな仕事もやれました。


※2 1974年、東京大手町で起きた無差別爆弾テロ事件。

英語劣等生が偶然英語に興味を持って、それで今の自分がある。

語学力も重要だが、もっと大切なのは自分の意見を持つこと

―ジャーナリストとしての実績を順調に積んでいらしたのに、それを投げ打ち、今度はご家族とともにミシガン大学に留学されたわけは…。

蟹瀬:私はどの仕事も3年と決めているんですよ。AFPは給料が良かったし、仕事も充実していたので長くいましたが、3年いれば大体マスターできて、飽きちゃうからなんですね。そこで思いついたのが留学だったんです。調べてみるとミシガン大学大学院に中堅ジャーナリスト向けのフェローシップがありました。これだ、と思い応募したのです。外国で仕事もせず家族と1年間過ごせる機会など、人生に一度だと思ったからです。妻も大学で学び、2人の子どもたちも現地の学校や幼稚園で楽しく過ごせたようです。

帰国間近になって仕事を探さなければと思っていたときに、フェローシップのゲスト講演者としてミシガンに来ていたTIME誌の重役から、東京特派員の仕事のオファーをいただきました。さっそくニューヨークで面接を受けて採用が決まり、路頭に迷わずに帰国することができたのです。3年ほどTIME誌で働いた後、テレビキャスターとして新しい世界に入りました。

―お話を伺っておりますと、英語は先生の人生を大きく左右した感じがします。

蟹瀬:英語劣等生が偶然英語に興味を持って、それで今の自分があるわけですから、英語は僕の人生を大きく変えましたね。テレビの世界に入ってからも、海外取材をやれたのは、ただの英語バカじゃなくて英語で取材できる能力を身につけていたからだと思います。言語学的に英語を研究している方は別として、英語はコミュニケーションの道具にすぎません。仕事をするときには、英語を通して仕事を学んでいくという心構えが必要ですし、そのほうが英語の上達も早い。

語学力をつけることは大切ですが、その前に自分の意見をしっかり持つことがもっと大切です。例えば、今の日本政府の姿勢をどう思うかと聞かれて答えられるようになったときに、本当の意味での英語力がついたといえるのではないでしょうか。モチベーションがあって、適切な学び方をすれば、どんな外国語でも1年もあればかなり上達できますよ。もちろん1年間みっちりとやらなければなりませんが。ただ、先ほども言いましたけど、英語はあくまで道具ですから、その道具を使って何を伝えられるのか。そちらも忘れないようにしてほしいですね。

1989年、TIME誌東京特派員として働いていたころ。英文記事を書いている最中に。



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