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巻頭インタビュー・アーカイブ

「天声人語」の筆写を3年間続けて
乗り越えた日本語の壁
中井亜希  AKI NAKAI
[フリーアナウンサー]
取材・文:竹野みつえ 撮影:蔵 真墨

読者からのリクエストにお応えして、今回は、「ミス慶応」にも選ばれた才色兼備の中井さんにインタビュー! ニューヨークに生まれ、高校時代まで日本と海外を行ったり来たり。中学生のときにメキシコで生活し、アメリカとはまったく違ったお国柄に触れて、世界の広さ・多様性に気づいたことが、その後の人生に大きな影響を与えたという。しかし、日本に帰国したときに待っていたのは、日本語という大きな壁。自分の名前すら漢字で書けなかった中井さんが、苦手な日本語を克服するために続けたのが「天声人語」の筆写だった。3年間、来る日も来る日も書き写しているうちに、日本語の理解を深め、弱点を克服していったという。(2007年8月号)

中井亜希(なかい・あき)1967年ニューヨークで生まれる。神奈川県立外語短期大学付属高等学校を卒業後、慶応義塾大学法学部に進学。卒業後、旧三菱銀行入行。’93年NHK初の中途採用でアナウンス部に入局。NHK金沢放送局に勤務後、’96年NHKを退局し、’97年よりフリーアナウンサーに。「目ざましテレビ」(フジテレビ)のニューヨーク中継の仕事は、ご主人の留学時代にボストンに共に滞在した後、1人ニューヨークに移り担当した。国連英検特A級、ビジネス英検A級資格取得が英語力の高さを物語る。銀行員だった知識を生かし、ファイナンシャル・プランナー試験に合格。主な出演番組は「榊原・蔦のグローバルナビ」(BS-i)の司会など。

小学校ではいじめに遭うほど日本語がわからなかった

―中井さんの海外生活の経緯を教えてください

中井:銀行員の父の赴任先だったニューヨークで生まれたために、英語はテレビからも聞いていたとは思いますが、2、3歳で日本に帰ったので、英語を話したという記憶はないですね。幼稚園から小学校に上がる前までは日本で過ごしましたが、運動会のことをぼんやり覚えているくらいです。3歳違いの三つ子の妹たちが日本で生まれた後、小学校はロサンゼルスで通い、卒業直前に日本に戻って、6年生を日本の学校で過ごしました。中学はメキシコ市のブリティッシュスクールに入り、高校1年の途中で、また日本に戻ってきて、大学に進学しました。

―では英語で生活された記憶はロサンゼルスの小学校から、でしょうか。

中井:たぶんそうだと思います。両親は日本語で話していましたが、私たち姉妹は英語で話していたので、日本語は聞けばわかるのですが、話せませんでした。親は環境に合った教育でいいと考えていたようです。小学校1年の初めは英語もわかりませんでしたが、子どもの英語力に合わせた学習法があったので、私は一番下のレベルの教科書から始め、いつの間にかみんなと同じ授業を受けるようになりました。日本人という意識もなく、差別もされませんでした。むしろ三つ子のお姉さんということで一目置かれていたようです(笑)。

―普段、日本語を使わないまま、小学校6年で日本の公立学校に転入されたということは……。

中井:自分の名前すら漢字で書けないようなひどい状態でした。それなのに「嫌だ!」とか、言いたいことははっきり言っちゃうし、服装も全然違うしで、外国帰りの変な日本人と思われたようで、すごくいじめられました。

例えばアメリカでは教科書に書き込みをしていたので、日本でもそうしました。テストが教科書持ち込みだったので書き込んだところを消したんですが、消しても薄く残ってしまって。それをカンニングだと言われたり、私の悪口を書いた紙を女の子たちが見せびらかしたり、意味なく集団でいじめられ、そんな体験も初めてだったので、どうしたらいいのかわからなくて。

今でもいじめのニュースを見るとテレビを消しちゃいます。だから父のメキシコ転勤が決まったときは、迷わず「私も行く」と言いました。もし日本での生活が楽しかったらメキシコの日本人学校に入っていたかもしれないので、結果的にはよかったのかなとも思います。

(メキシコでの中学時代は)多様な文化や習慣があるということをすんなりと体得できましたね。

メキシコから日本へ。待っていたのはまたもや日本語の壁。

―3年半通ったメキシコの学校生活、そしてその後の日本の生活はいかがでしたか。

中井:ブリティッシュスクールだったので、アメリカとは全然違った生活でした。各国の大使や石油王の子どもたちが集まっていて、すごい環境の子どもたちの中に平凡な私がぽつんという感じでした(笑)。学校の規律も厳しくて、制服着用、先生は絶対的な存在で、話すときにはsirかma’amを付けるなど、細かく決められていました。授業もやたらシェークスピアが多かったり、ラテン語を学んだりで、当然英語はイギリス英語でしたね。

いろいろな宗教の子どもたちがいたので、キリスト教のお祈りの時間になると授業中に出ていってしまう生徒もいました。国によって祝日も異なり、母国を優先するので全員が集まらないこともよくありました。でもそれが当たり前とみんなが受け止めていたので、多様な文化や習慣があるということをすんなりと体得できましたね。学校は9時から2時まで、その後は自由です。週末はダンスパーティーや、友達を家に呼んだり呼ばれたりで、食べ物の違いにびっくりしたり、親日感の違いなども感じました。

母は教育にはおおらかでしたが、おはしの持ち方やお正月のあいさつなどのしつけをはじめ、日本の慣習や行事を大切にしていたので、友達がとても興味を示したのも印象的でしたね。和食器をビューティフルと言い、漢字や浴衣や折り紙に関心を示すので、改めて日本の一番の強みは文化だと思い知らされました。

メキシコで暮らしてみて、アメリカと日本は似ていると感じました。メキシコの貧富の差は子ども心にもショックでしたが、貧しくてもたくましく生きる人々を目の当たりにし、いろいろな世界があるんだ、ということを心の底から学びました。それが一番の収穫でした。日本での6年生時代が辛かったので余計にそう思えたのかもしれませんが、とても楽しかったですね。

言葉は英語とスペイン語のちゃんぽんで、日本語は100%使いませんでしたから、また日本の高校に入って苦労することになりました。帰国子女枠のある高校に入ったので、いじめこそありませんでしたが、日本語ができないので勉強に付いていくのが大変で。漢字は当然わからない、カタカナも書けない、「お」の書き方がひらがな、カタカナの2つあることに感動したくらい。最初のテストではビリから2番目で、先生から「こんな汚い字は見たことがない」と褒められ(笑)、母から「あなたよりできない人がいるの?」と言われ、ちょっと私ってすごいかもと思ったり。

先生が「天声人語」を書き写せというので、意味もわからないまま写経のように毎日書いて提出していました。3年になると「○○字で要約せよ」と言われ、悪戦苦闘しているうちに漢字も書けるようになりました。テレビの「ドラえもん」も役立ちました。受験のときは、ある先生に「お前はどこにも行けない」と言われて悔しかったので、3年から猛勉強し、受かった中から慶応の法学部を選びました。

ハロウィーンの日、仮装した中井さん(右端)。ロサンゼルスで暮らしていた小学校4年のとき

銀行員からアナウンサーに。日本語を磨いたNHK時代

―卒業後、三菱銀行(当時)へ入行された後、NHKのアナウンス部、そして現在のフリーアナウンサーになられるわけですが、このあたりの経緯を教えてください。

中井:幼稚園のとき、フジテレビの「ピンポンパン」の番組に、園児みんなで出演したことがあって、そのときカメラの後ろでがんばっている人たちがかっこよく見えて、ああいうふうになりたいと子どものころに思っていました。でも、就職のときは、銀行からNHKは行けるチャンスはあるかもしれないけど、その逆は難しいと言われ、ほかの可能性も見つけられるかもしれないと、一番早く決まった銀行に就職しました。仕事で忙しくてその夢はほぼ忘れていたのですが、就職活動を始めた妹がNHKで中途採用をしていると履歴書を持ってきてくれて、これも何かの縁かもしれないと受けたら、アナウンス部が採用してくださったのです。

当時のアナウンス部は、記事も書く、カメラも回すというように何でもしなければならなかったので、可能性のあるものは全部学ぼうという気持ちでした。高校時代は教科書を読むのも下手でしたから、原稿を読む仕事はやめろという人もいて、私自身もアナウンサーになる資格はないと思っていました。私だけ敬語研修を受け、研修時代も苦労の連続でしたが、そのおかげで苦手だった日本語を矯正できました。フリーになってもいろいろな方にお会いできて、知らないことを知ることが面白い。この仕事が外国にも広がって、もっと多くの方にお会いできたら、さらに面白いだろうなと思います。

―中井さんにとって母国語はどちらの言語ですか。また、海外生活が長かったことでプラスだった面やマイナスだった面、そして、将来の夢も教えてください。

中井:どちらが母国語かとよく聞かれるんですが、正直わからないですね。メモを取るのは英語と日本語が混ざり、帰国子女の夫と話すときもちゃんぽんになります。

今までの経験でマイナスだったのは、1つの国の文化が徹底的にわかっていなくて中途半端ということはありますね。幼なじみがいないとかも。プラス面は、世界は広くて、いろいろな仕事があり、いろいろな人がいると、あたりまえのことですが実感できて、好奇心が旺盛になったこと。今は仕事を通じてそれがもっと膨らんでいます。そして、中学のころからずっと思っていたんですが、将来は絵本の翻訳をやってみたいですね。子どものころに英語の絵本をずっと読んでいたので、生活や文化をベースにした絵本の背景を理解できること、それが翻訳に役立つのではないかと思っています。

(NHKの)アナウンス部では、可能性のあるものは全部学ぼうという気持ちでした。



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